何度も繰り返して読んでいる本からの抜粋。
この「無明」の本来の言葉は私は師から教わりました。
a-vedanaというのです。これはサンスクリット語です。
ー中略ー
要するに、頭でわかること。
これに対しvedanaは、からだで感じることです。
よく、”腹の底”からわかる、といいますが、
こういったときの土台をなしている機能です。
だからこのvedanaをつきつめますと、
まさしく、本日のテーマにいきつくことになりますね。
内臓感受、そのもの、となります。
これで「無明」の本来の意味が明らかになったと思います。
それはa-vedanaすなわち、この内臓感受にとって、
好ましからざる状態をいったもの…。
あの膀胱の壁が
刻一刻と張りつめてくる
その状況を思い浮かべればいいわけです。
要するに「内臓不快」
これが人間苦の究極の”引き金”だというのです。
これはものの本質をついていると思います。
何もむずかしいことをいう必要はない。
お腹が空いた時に、
ほんとうにお腹がすいた。
そして
なにがどれくらい不足しているかがわかって
それにふさわしいものを食べることができたら
それでいいんですから…。
三木成夫著 「内臓のはたらきとこどものこころ」
必要なものを食べる。
必要なものだけ食べる。
それがね
一番難しかったりね。
子供のほうが
必要なものはよくわかってる気がする。
この本、私は好きでよく開く。
おもしろい、何度読んでも。
顔も内臓。
不快なことはしない。
腹で決める。
そんな風に
シンプルにいきたい。
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