プロフィール

桜井くみ   はり灸マッサージ師 ヨガインストラクター と
林としひろ 
ヨガインストラクター の
二つの作業机にあるものを綴っていくブログ(2015.8〜)

2016年12月28日水曜日

vedana③ give and take

つづき

なんやかやと
からだやこころやと
physical や spiritualと偉そうに言っていても
自分自身もね。。
心身がしんどくなることはもちろんあって。

良くなりたいなら
楽になりたいならば
人の助けを借りればいいと思うの。

しんどい時は
自分自身でもできることはやるけれど
自分じゃやりたくない時もあったり
自分じゃどうしようもないこともある。

わたしも
人に委ねます。
その方が早いしもっとよくなる。


信頼する人に触れてもらって
からだが楽になって
愛に満たされますよ。
なんか
臭いようですけども
からだが満たされると
こころも満たされて
それだけで幸せ
そんな感じ。


疲れたから誰かに家事を頼むのと同じように
しんどいときは
からだを委ねられる人に助けてもらえばいいと思う。
それが得意な人もいるんだし。


からだを触れてみて
流れるべきものの流れが滞っていたり
いらないものを溜め込んでたら
まずそれを散らしたり補ってあげないと
表面的なものしか変わらないし
いつまでたっても楽にならない。
地に足も着けない。

だっだら
誰かに助けてもらって
まず出してしまったほうが
次へとすすめる。


時間をかけて閉じ込めてきたものは
少しずつ解放していったほうがいい。

満たされたからだとこころで行うことと
満たされていないからだとこころで行うことは
きっと違うのだと想う。

助けてもらうことが苦手な人もいるけど
わたしからいえば
そうやって来てくれることで
わたしのほうが助けられる。
満たされる。


give and take.
吸って吐く。

全てがシンプルに、自然に成り立ってると思う。



〜vedana ヴェーダーナ〜

五蘊(ごうん)pancakkhandha
 人間や動物、世界を構成する5つの部分
 色・受・想・行・識がある

受蘊(じゅうん)vedana
 感受作用
 五感で感じて認識すること 
 苦・楽・不苦不楽の3つの受がある



つづく
次でおわり。

2016年12月26日月曜日

vedana② グラウンディング

すっかり年末モードです。
大掃除気分で床を磨き始めたけど
疲れて半分だけ。

ここ数ヶ月
身の回りに起こることが
全てがつながっているようで
何かに導かれているようで
怖いようで面白い。

そういう時ってないですか?
世の中全てが必然という。
何やらワクワクしています。


前回からの続きのはなし。

人のからだにはその人それぞれの流れや質感や色がある。
エネルギーとか気とかプラーナとかの流れ、だと思う。
いろんな国の言葉にそれを指す単語があるんだからあるんだろう。

流れが弱まっていたり
ものすごいブロックや
強烈な感情や記憶のエネルギー
そんなもので流れが妨げられていたり。

流れていないのならば流して
いらないものがあったら散らして
散らせないならこっちに引き込んで
浮いているのならば降ろして。

おおざっぱに、なんとなくそんな感じ。
人に触れているときの感覚。
この質感は
言葉にあらわせないけれども
確かにわたしの中にある。


そしてそうなる原因のほとんどはその人自身が作っているもの。
こころの有り様はからだに素直に出る。
エネルギーの性質も人それぞれ。

からだをおいて
上に引っ張られちゃって地に足ついてなかったり
根深い、強烈なものを身の内に溜め込んでいたりすると
自分で自分を見失って
自分で自分を持て余しちゃって
からだが崩れる。


世界的に普及しているアイアンガーヨガの創始者アイアンガー先生は
いつか人は精神世界に触れなくてはならない
と言っていた聞く。

からだを清浄に、安定させて
精神世界へ、スピリチュアルな世界にいきなさい、と。


肉体を持ってこの地球上に存在している以上
地に足は着けていないとろくなことはないよね。

何かをしたいのならば
何かとつながっていたいならば
自分のからだすら大事に素直に向き合えないままでいたら
後々しんどい。

からだは基本で鏡でもあると思う。
無意識に向き合うことを避けている人も多いけれど。



つづく



〜vedana ヴェーダーナ〜
仏教の五蘊(ごうん)のうちの受蘊(じゅうん)

感覚
感じて受け取ること
からだの内外の変化を感じる機能
からだの智慧


2016年12月3日土曜日

vedana ①ブラックホール

人の体に触れることをしてる人ってどんな感覚でやってるんだろう。
他の人の感覚はわからないから自分の感覚を信じるしかない。

私は18の頃から人の体に触れることをしている。
その頃から
触ればわかる。
みようとしてみればみえた。
みんながそうじゃないことにも驚いた。
からだはこんなにも声を発しているのに。
子どもの頃からこんなんだったのに。

最初の頃は何か安定しなくて
人に触れて良い時と悪い時と大変だった。
怖かったし。

私の中では
人の中のブラックホールと呼んでいて
何もかも巻き込む吸い込む黒いもの。
ものすごいスパイラル。
そんなのがね、ある。

人が生み出す力は物凄い。
良いものも悪いものも。
何で人の黒いものばっかり見えるんだろう
って本気で悩んだ時期もあり。

今はもっといろんなことが見えるようになったけど。
うまくコントロールできなくて
自分が辛くなったりすることも。


とある人が
もらう人は下手な人だ
と言っていた。
そうかもしれない。 
今ならその理由もちょっとわかる。

何をもらい何を与えるのか
気、エネルギー、プラーナ、スピリチュアル、精神、心
何と言っても良いのだけれど


そんな感覚だけでやっていくのはなんか違う気もして
医療従事者だし
あやしい人に思われるのも嫌だし。
こういうこと書くのも勇気がいる。

西洋、東洋の医学の中
ヨガの中で
自分の中にある感覚を使いながら

physicalとしての体が
どんな風な仕組みで動いてはたらいているのか
どんな治療法があるのか
いろんなことを学んだりやってみたり

持って生まれたものだけじゃなく
身につけた技術や知識は裏切らない。

自分がやっていることの中に
単に感覚だけのものではなく
理論のあるものとして後付していった感じかもしれない。


ヨガをはじめて
かなりセルフコントロールできるようになって
ヨガを教えたいという人たちにからだに関わる術を伝えることで
技術的にも整理できた気がする。


ここ数年、自分の身の回りにも変化があって
人への触れ方、みえ方にも変化があった。

体は依代。
今の体があるのは
先週、先月、去年、10年前、子どもの頃、お母さんのお腹の中にいた頃
もしくはもっと前の
そんなときからのことを積み重ねてできている。

体との対話の仕方に変化もうまれてきて
またいい感じになってきたような。



つづく


〜 vedana ヴェーダーナ 〜  
サンスクリット語
仏教の五蘊(パンチャッカンダ)
「色・受・想・行・識」の中の第2番目の「受」

五蘊(ごうん)とは5つの塊のこと。